生きている人のために。

仏花

祖父の棺に釘が打たれた瞬間、そして焼き場に入っていった瞬間、「もう触れることができないんだ」と、実感。妹と抱き合って、泣きました。
祖父が骨になったのを見ると、ふうっと肩から力が抜けました。
やはり、宗教とは生きている人のためにあるもので、生きている人の執着を断ち切るために葬式があるのだな、と思いました。いや、もちろん今でも泣けるんですが。