泣くための話が苦手。

いわゆる認知症や、記憶障害のお話、そして不治の病など。
物語を盛り上げるためにこういうエピソードが入ってくると、私はすごく嫌悪感を示します。
そんなに美しいわけがない。
ただただ泣けるわけがない。
看護婦の友達も同じ感想を抱いていました。
病気は、きれい事じゃない。
キレイな人も醜くなるし、優しい人も発狂するし、患者も家族も汚物にまみれる。
愛情を持って接している人も、疲れておかしくなる。
一緒に死にたくなる。
そんな現実があるのに、キレイな部分だけを見てキレイな涙を流そうだなんて、すごく汚れた行為のような気がしてしまうのです。
そして、嫌なヤツをぶっとばしてスカッとするような場面で、成敗された相手の心情に思い至って泣く私なのです。
天の邪鬼なつもりは全くないんだけれどな。


ああ、そういえば「サトラレ」は泣けたなぁ。
冷静に自己分析すると、主人公の感情が他人にダダモレになるという設定で、周囲の人たちの表情がカンペキに作られた「嘘」だったからじゃないかな。
乱れることを許されない人たちが集まっていたから。主人公も医者だったから。死を目前にして笑顔でも違和感がなかった。
そして、主人公の主な感情が「過去の自分に対する後悔」「実力が至らない悲しみ」「何もできない虚しさ」だったから……。それは誰もが持っている「悔しい」という感情だもの。
あれが長期にわたる介護生活だったら、絶対にドロドロのグダグダだったろうけれどね。