日本の宗教。

祖母の49日の法要に行ってきました。
従姉妹たちがTシャツやらジーンズだったり、素足にサンダルだったり、ラメのマニキュアだったりしたのはちょっと驚いたなぁ。
お坊さんのお話の途中で、「長いっ!」と文句言うおじさんもいたし。
本当に我が一族は、形だけ仏教徒という感じです。


日本は宗教に寛大というか、「何やらイイものらしい」と聞くと何でも拝むという、良く言えば合理的、悪く言えば節操がない所があって、決して心から崇拝しているわけではないんですよね。
神道、仏教、キリスト教。なんでもゴチャ混ぜになっています。
ぶっちゃけた話、日本の神様の血筋であった天皇様は、終戦の時に「人間ですよ」と言われちゃったわけで、夢も希望もあったもんじゃない。


それに、日本人にとって「神様」というのは、そんなに良い物ではないんですよね。
「まつらないと祟るもの」だと思うのです。
日本で最も多い稲荷神社は農業の神様ですが、まつらないと、嵐や日照りで不作になると言われています。それに、「人間を化かす」と言われているキツネが神様の使いとされています。
使い込んだ品物や食べ物なども、感謝と供養を欠かすと「化けて出る」と言われています。包丁や針などの日用品、魚などをまつった神社もあります。
それに、非業な死を遂げた人物も、よく神社などでまつられています。


日本で神社といわれているものの大半は、「恨み」「呪い」などの強い力……つまり、祟りで生者が不幸を被らないように、「どうか静かにしてて下さい」「気が向いたら、その余った力でチョイと願い事を叶えてくれると嬉しいな……まぁ、ムリなら仕方ないですけど」とお願いしてる場所だと思うのです。
まれに福の神など、幸福を運ぶ夢のような神様もいますが、貧乏神という良く判らない神様もいます。貧乏神を大切にすると、福の神に変わるという説もあって、日本らしいなぁと思うわけで。
(実際に神社では色々難しい定義があると思うのですが、実際の感覚としてはそんな感じです)


靖国問題がよく取り沙汰されていますが、この「祟り」の感覚が諸外国の方にわかっていただけたらなぁ……と思う事がよくあります。
いわゆる「戦犯」の方たちは、まつらないと「祟り」があるくらい、強い怨念の力があるんです。
本当に祟られるかどうかは知りませんが、生きてる人はそう思うわけです。
戦争で命を落とされた方たちとは別にまつれば良かったのに……とは思いますが、一度まつっちゃったら、分けても「分祀」という形になり、「どちらにも同じ神がまつられる」という事になり、つまり「増える」んです。
神様に人間の都合で「ちょっとコチラに引っ越してもらえます?」なんて言ってもさぁ。
ムリムリ! むしろ、「テメエ、ちょっと大人しくしてりゃ図に乗りやがって!」と祟られて、罰が当たるって!
……日本人以外にはわかりにくいかもね、この感覚。
分祀する事で他の国の方々が満足するのなら、「とりあえず分けちゃえば?」とは思いますけれどね。
小難しい解説より何より、平和の方が大切だもん。


ああ、何だか話がズレまくっちゃったな。
こんな事を考えながら、法要に参列していたのでありました。